もういくつ寝るとお正月?

旧暦の元旦は1月29日です

街中や電車の中が少しづつざわつきはじめているのを感じる。いつもの香港と比べて大きく変わったと思うのは周りから普通語が聞こえてくる頻度が増えたことだ。街中や電車の中はもちろん私が今住んでいるマンションでもその方々と遭遇する機会は明らかに増えた。私の部屋がある28階からエレベータに乗ると途中の階から男女2人が乗り込んでくることがある。狭いエレベータの空間の中でも全く周りに遠慮することなく大きな声で話し始める。少し甲高いトーンの声色が聞こえてきた瞬間にすぐにその国の人たちだとわかる。日本人の感覚で言えばエレベータの中に他の人がいる時は自然に会話の音量を下げるものだけれど、そのような配慮というか遠慮といった種類の感覚はまったくない印象をうける。それは文化や生活習慣の違いからくるものであって感情的にはムッとすることでもここ香港ではマイノリティの日本人の私としてはグッと堪えるしかない。一方で香港人の場合、会社帰りの毎夕方に缶ビールを買いに立ち寄るサークルKのおばんちゃんはムスッとして無言でレジに現れるおっさんがどこの国の人間なのかを何とか知ろうとする。そしてビールを買うためにレジにならぶ回数が増えるにつれてその究極の質問をなげてくる。「やっっぶんやん?コリア?」そしてついにその仏頂面の人間が日本人だと分かると「おーやっぶんやんあぁ(あー日本人なのね)」と満面の笑顔を見せてくれることは少なくない。そんな日本人であることに対するちょっとした融雪感は初めて行ったレストランや会社のそばの定食屋でも受けること多い。香港人は日本人だと分かると本当に優しくしてくれる。そんな時は毎回、あぁ日本人で良かったぁ~ここ香港でしっかり日本人のアイデンティティを確率してくれた先人達へ敬意を表さずにはいられない。

話がそれてしまった。昨日、中環のSOHO地区の坂道にハロウィン時の被り物や雑貨を売っている露天が並ぶところへ行ってきた。香港の人達にとって福を呼び込む幸せの色は「紅」だ。会社のクリスマスパーチーやアニュアルディナでは必ずラッキードローがつきものなのだが女性陣は特に必ずと行っていいほど「紅(赤)」を着る服に取り入れる。上も下も赤と言った強者もいる。この時期になると街中や駅構内のエスカレータ横の広告スペースなどの至る所に「紅(赤)」の飾り付けが増えてくるのだ。結果として年末の雰囲気が知らず知らずのうちに盛り上がってくるのだ。そんな盛り上がり始めた街中で多く聞こえる普通語の響きを香港の人たちはどのように感じているんだろうと気になる時がある。さらにその甲高い音色の発生元の人たちが以前なら大きなスーツケースを引きずっていて一目で観光客だと認識できたのだが最近の人たちは明らかに「居住者」の振る舞いだ。当然ながらスーツケースは引きずっていないし最近流行りのそれに何が入るん?と聞きたくなるような小型のブランドもののバックを下げている女性がほとんどだ。そんな3~4人のグループが香港島の繁華街Causeway  Bayを闊歩しているのだ。そんな様子を香港の人たちはごんな思いで眺めているのだろうか?

2025年お正月

日本の記憶と香港への願い

子供のころに肌で感じた師走から新年にかけてのワクワクしたあの独特な空気感は新暦の年末年始には香港ではほとんど感じることはない。もう何年も年末年始を日本で過ごしたことがないので最近の日本の雰囲気は分からないがきっとそれは薄れているんじゃないかなと思っている。クリスマスケーキがバタークリームから生クリームに変わった衝撃は今もはっきりと記憶に残っている。僕の実家には小ぶりな芝生の庭があった。年末には餅屋さんが杵と臼をもってきて蒸したもち米を注文をうけた近所の家向けについていた。つきたての餅を長方形の木箱にいれて集まったおばちゃんたちが総出で小さく丸めていく。いくつもの長い木箱の中にいっぱいの小さな餅とデーンと存在感を占めす大きな鏡餅が縁側にならんでいた。あっという間に注文分をつきおわると餅屋さんはつぎの餅つき場所へ移動していく。毎年の子供のころの思い出だ。父親が締め飾りを玄関に飾って床の間には大きな鏡餅、ダイダイとするめを切り込みをいれた半紙の上に飾り付ける。横には頂いた一升瓶の酒と焼酎が何本も並んでいた。正月の準備の買い出しに母親についていくと小さな商店街には威勢のいい魚屋さん、八百屋のおじさん達の声が響いていた。「迷子にならんごとついて来んばよ」キョロキョロしながら母親の後をついて歩いた。

さて、香港はというとやはり旧暦の年末年始には雰囲気の種類には違いはあるが日本で子供のころに感じたワクワクするような高揚感を感じることがある。今年の旧暦のお正月は1月29日、30日、31日だ。その日が近づいてくるにつれて街中はどこもザワザワ感が漂ってくる。「街市」という香港独自のオープンマーケット(市場)のおっちゃん、おばちゃんたちの掛け声もいつもより大きくなってくる。人出は一気に増えるし年末セールが始まって繁華街からローカルの商店街やショッピングモールは多くの買い物客でごった返しとなる。そして年があけるといたるところで銅鑼と太鼓の大音響とともにライオンダンスが練り歩くのだ。活気はある。盛り上がる。それが僕が知っている香港の旧正月だ。静かに遠目に華やかな旧正月を祝う香港人が増えないといいけどなと願うのみだ。

大晦日&新年あけましておめでとう

香港に住んで駐在員からの期間を加えるとこの1月でまる15年になる。お陰様で家族共々ここ香港で元気に過ごしている。いろんなことがあった。思い返してそれらを紹介するつもりはさらさらない。他人様が聞いてもさほど面白いことはないだろうけど、本人当事者にとってはそれなりに充実していたし楽しい時間だった。そしてこれからも当分ここ香港を離れるつもりはないし、嫌ッもしかしたらどっか南の方に移住するかも?そんなことは漠然と頭にある。ただ今時点では一切何も決まってはいないし決めてもいない。

2025年はどんな年になるんだろう?どんな人と巡り会えるかな?楽しい一年になるといいなと思っている。新しいプロジェクトが一つ量産が始まる。何とかスムーズに立ち上がって欲しいと願っている。さらには次のビジネスの種まきだ。社会インフラの提案をここ香港をハブにして中国、マレーシアへと展開してみたいな、夢で終わるか新しいビジネスとして確立できるかは今年の種まき次第ということだ。やっぱり楽しく仕事に取り組みたいよね。ワクワクして取り組みたいな。どうぞ今年も宜しくお願いします。

仕事納めに思うこと

2025年にやり切る事

今日が自分で決めた仕事納めだ。午前中は普通に契約先のオフィスに出勤して午前中で切り上げた。通常なら80人近いスタッフがいるオフィスの中も今週は空席が目立っている。きっと有給休暇を取得して早めのバケーションで日本含めたアジア、思い思いの国や地域へ出掛けていることだろう。勝手な印象ではあるが若い世代はシンガポール、タイ、インドネシアなどアジアの国々、40−50代のミドル世代(?)は家族で日本、それ以上の年配さん(笑 は意外というかやはりと言うか中国の古都へ出掛けている印象だ。やはり大陸に対する印象は世代別で大きく違うようだ。

香港は基本的に旧暦を尊重しているので新暦の年末年始はカレンダー通りの単なる休日といった扱いだ。少しちゃっかりしているなと思うのは12月24日のクリスマスイブから始まるクリスマスホリデーを重要視しているところだ。イギリスの植民地時代からの歴史的な影響だろう。25日はクリスマス、26日はボクシングデーと2日間の祝日だ。今年のカレンダーで言うと23日、24日、そして27日の3日間に有休を申請して21日から29日まで9連休でお休みしている者やさらに30日、31日、明けて2日、3日と連続して二週間のお休みをとって家族で日本へ出掛けると言っていた同僚もいた。僕はコンサルタントという職責上、お休みをとってもさほど周りに影響を与えることはない。基本的にカレンダー通りに出勤しているが年末は27日までと決めて30日、31日はお休みを頂くことにしている。

2024年、自分で振り返って見てどうだった?自問してみる。答えが出てこない。それで1月に書き留めた年初の誓い(?)の日記を探してみた。そこには「よし今年は○○○をやる」と書いていた。見た瞬間に自分で笑ってしまった。やってないしそう誓いを立てたことすら覚えていない。人間ってそんなものか?いや全ての人間がそうであるはずはないからやはりこの良い加減さは僕自身の固有の特徴によるものだろう。冷静に思い返すと毎年同じような誓いと出来なかった反省を繰り返しているような気もしてきた。結局は一年経っても成長していないということだろうなとも思う。いやいや待て待てやったこともあるぞと心の中で自分を励ます自分もいる。という訳で来年はどうするかな?仕事納めの今日、心に決めた来年の大きな目標というか必ずやることは明確だ。いや絶対にやらなければならないんだ。来年の今頃どうしてるかな自分?

皆様、今年も大変お世話になりました。どうぞ健やかな良い年をお迎えください。