Charles W. Sweeney
1945年8月9日午前11時2分 アメリカ軍のシルバープレート作戦が実行された。B29 ボックスカー(Bockscar)に搭載された原子爆弾ファットマン(Fat man)が長崎上空から投下された。大きなきのこ雲が立ち上がったの遠く熊本天草からも見えたと亡くなった母に聞いたことがある。「あらぁ~なんやろかね」と当時、中学生になったばかりの母はそう思いながら見たこともない異様な形の雲を眺めていたそうだ。一瞬にして7万人以上の死亡者、7万以上の負傷者を出した(1945年12月末の集計)原子爆弾ファットマンを投下した機体B29 ボックスカーの機長がチャールズ・スウィーニー少佐(1919年12月7日 – 2004年7月15日)だ。
ファットマンによる死亡者は1945年以上も増え続け77年も経った今でも二世、三世とその後遺症が続いていると聞く。実は私もチャールズ・スウィーニーという名前は聞いたことがなかった。8月9日という私にとって少しだけではあるが特別な日を迎えてネットで関連記事を眺めているうちに目に留まっただけだ。ウィキペディアによると彼は原爆投下によって世界大戦を終わらせることができたとうアメリカ軍の投下の正当性を支持する証言をしていたそうだ。彼の心の内をしる術はあるはずはないが私は彼は表面的にはアメリカ軍人として胸を張ってその正当性を主張せざるを得ない状況のなかで内心、とてつもない後悔と懺悔の気持ちに責められていたのではないかと思っている。何故なら彼は1960年代にローマ法王ヨハネ23世に謁見した際に被爆地長崎を支援してくれるように頼んだと家族が証言しているそうだ。長崎県生まれの私が彼のことをこうしてブログへ書いていることなど天国からは知る由もないだろう。ただ彼の真の心のうちは世界中の人々に伝わってほしいと願う。決して戦争はしてはいけないんだと、永遠に!