世界を知ろう!

香港に10年以上住んでいてまだ慣れないこと

MTRという香港の電車の中、スマホゲームの音量を出して楽しむ若者がいるかと思うと声を押し殺すことなく普通にスマホで会話するおばちゃん。靴も脱がずに車窓に両肘をついて外の景色を眺める子供にそれを注意することなく会話している若い夫婦。日本では決してみることがない日本人がマナー違反と思うようなことがここ香港では日常的に繰り返されている。香港人に対する悪口に聞こえるかもしれないがそれはそれとしてここ香港では間違いなくマイノリティである日本人の僕からみてそれは違うでしょうという事象は数え上げるときりがない。街中や会社でも平気で突然通路のど真ん中で止まったり、横位一列に並んで話し込んでゆっくり歩く、後ろの人が急いで追い越して前に行きたそうなのにシカとする。前から人が近づいてきて間違いなく邪魔になりそうな状況でも避けようともしない。


冒頭書いたように僕は香港に10年以上住んでいる。最初に駐在員として赴任してきたのが2008年で途中、一次帰国したので12~13年住んでいることになる。そんな僕が僕なりに思いついた結論がある。それは「基準が違う」んだろうなということだ。どういう事かというと前述の子供が靴を脱がずに車窓をみている場合、日本人であれば周りの人や後から座るひとのことを考えて靴のままではシートを汚す可能性あり迷惑をかけるから「靴を脱ぎなさい」となるだろう。それが文化や育った環境の違いからそれは他人の迷惑になるという判断に至らないんじゃないだろうかということだ。汚いものや汚れたものに対する基準の違いはもっと顕著だ。スーパーで買った食材を地面や電車内の床に平気で置いてスマホをいじっていたりする光景は普通によく見かける。僕だけじゃなく普通の日本人であれば食べ物を地面や床に直置きすることには抵抗があるのではないだろうか?電車内のスマホでの会話についても同じだ。うるさいと思うし座っている横で会話が始まると耳障りだ。でもきっと耳障りとかうるさいと思ってしまう基準、スレッシュホールド値がきっと僕よりも高いのだろう。と思うのだ。この『基準が違う』という考え方はどんなものにも適応できる。食べ物だって「それはおいしくないから食べれない」と思う基準が違うと食べれたりするし、臭いにおいも臭くなかったり平気で居られたりするだろう。忘れて行けないのはその逆もあるということだ。日本人と香港人、どちらが正でどちらが悪とうことを言っている訳ではなくてそれが世界だという事です。日本人よ、もっと世界へ飛び出しませう 🙂