懐かしい友にあった

Mr. Tom Wong

Tomに初めてあったのは前職時の半導体の商社に駐在員として香港で働き始めた2008年9月だった。香港大学を卒業したてで日本語を話す新人として入社してきたのだった。23際だったと思う。最初は少し緊張した様子だった。明るい性格と強い責任感、それに熱心さですぐに社内に馴染んで営業マンとして担当顧客をもつまでになった。お昼時になると駐在員の日本人は近くの日系の食堂でランチする。当時の定食はHKD60程度だった。今の超円安とはほどとおいHKD vs JPYの為替レートは13円程度だった。(今は1HKD:20円)HKD60だと日本円換算で900円前後だ。それから暫くの間は円高に進んだと記憶している。ある時、TOMがぼそっともらした。「お昼にHKD40以上は出せないよぉ~日本人と付き合うのはきつね」確かに香港ローカルの定食屋ではHKD25~35で美味しいランチを食べることが出来た。香港に住む日本人俗に言う「ぶっかけ飯」 大き目のお皿にドカンと盛られたご飯、そのうえにお肉や野菜の炒め物がもられたワンプレートだ。
待合せのバーに少し遅れてきたTOMはすっかり大人になっていた。聞くと39歳だという。来週40歳になるんだ。少し額も後退しているように見える。当時、私はTOMに営業マンとして人との人間関係をどうやったらうまくできるか勉強するように指導した。取り扱っていた電子部品のスペックや型名なんかは覚える必要ないからと指示した。なんで?と聞くTOMには「そんなもんお前に将来になんに役にも立たないから」と言うと、「そっか」とな督した様子だった。それから2年もしないうちにTOMは「僕、辞めるよ」と言ってきた。「どうするんだ?」と聞くと「上級公務員の試験を受ける」という。一年間に渡る複数回の筆記試験と数回の面接を突破したTOMはその翌年から「Immigration Officer」として深圳のイミグレで働き始めた。深圳のイミグレは何度もつかっていた。あるとき電話で呼び出すと白い制服をきて引き締まった顔で出てきた。「今、部下が7~8人いるんだよ。全部、年上だよ。やりづらいよ」と小声で言った。ほんの数分だったが頼もしく見えた。
40歳になろうとしているTOM ビールを飲みかわしながら今を話してくれた。仕事は全然面白くないよ。上司には絶対服従、上司もその上司に服従して「Yes」しか言わない。給料はと聞くと〇〇万ドル、とっくに追い越されていた。でもあと10年したらこの仕事は辞めるとも話していた。以前買ったマンションを売って少し出た利益で駅上のマンションに引っ越したそうだ。結婚して昨年子供が生まれたとスマホの写真を見せながら笑顔で話してくれた。あっという間に1時間半がすぎてチェックするときにTOMが「いいよ、ぼくが払うから」懐かし幸せな時間だった。ありがとう Tom

台湾 無老鍋

初めての食レポ 🙂

先週の土曜日、友人夫妻の誘いに呼ばれて香港にある美味しい台湾鍋のお店のにいってきた。その友人は時間ができると二人でちょくちょく台湾へ出かけている。台湾へ行くたびに食べている鍋のお店と同じ系列店が香港にあるとからとのお誘いだった。場所は香港島側のCauseway BayのTimes Squareの前のタクシー乗り場の通りのもう一つ裏通り。ビルの5階にある「無老鍋」店内はどことなく台湾風な雰囲気だ。窓際の6人がゆったりと座れる長椅子のテーブルに通された。テーブルの横にはすでに牛乳瓶みたいな厚手のガラス瓶に乳白色の液体が4本常備してある。友人曰く鍋のスープとのこと。少なくなった際に足す追いスープとのことだ。今は注文は香港でもタブレットが主流だ。友人がなれた手つきでちゃっちゃっと指をスワイプしながら「台湾ビールでいい?」との問いかけに了解する。暫くしすると店員が大きな銀色の丸い鍋をもって来てテーブルの中央にセットしてくれた。すでにクコの実等の出汁につかう材料と台湾の豆腐等が乳白色のスープの中に入っている。それからすぐに緑色の小瓶の台湾ビールも運ばれてきた。テーブルの通路側には脚立の上に大きなトレイが置いてあって店員はそこに注文された品を手際よく置いていく。豚肉、牛肉、羊、レタス、白菜、すり身、練り物等々、それらを慣れた手つきで次々に鍋に入れいく。何と言っても旨さの要因は付けダレだった。お店の共有部分に台湾醤油と台湾のお酢、ニンニクの絞り汁、ごま油、ネギ、赤唐辛子、特に台湾醤油のなんとも言えない甘味が鍋のスープと絡んで更においしさを引き上げている感じだ。
食レポは難しい。実際に食べて美味しかった内容を半分も表現できてないな(泣、是非、お店で食べてみてください。「推し」です!

クォリーベイのモンスターマンションに行ってきた!

変化が進む香港の今

広東語では「益昌大廈」、普通語では「怪獸大廈」、英語では「Monster building」だそうです。

香港サイドのクォーリーベイ駅のA出口を出ると目の前には超高層階のオフィスビルが目に入ってくる。目が不自由な人のための青信号を知らせるブザー音のメロディーが離れたところからでも聞こえる、横断歩道を行きかう人々のスーツ姿のサラリーマンや買い物風の庶民的な格好のおばちゃんたちも目立つ。香港にありがちな古い町並に突然、超高層階のビルができたことでいろな生活スタイルの人種が入り混じった状態になっている。道路の反対側からそんな様子をみながら少しだけの傾斜がついた歩道を歩いていく。車道の真ん中には昔ながらの路面電車、車道にはKMBの大きなロゴマークの入った二階建バスが行き交う。超高級スポーツカーも爆音を響かせながら走り去る。低層階の古いマンションの一部はすでに取り壊し作業が始まっていて誇りや危険防止のための背の高い紅白のプラスチックのガードが延々と並べられている。後ろにそびえる超高層ビルと対象的だ。少し傾斜がきつくなり始めたあたりの右手にモンスターマンションはある。ちなみにモンスターマンションとは外国人が言い出した呼び名で広東語では「益昌大廈」だそうだ。意外と小さな入口から中庭に入ると写真でみたことのある構図があった。快晴ではあるが3面を高い壁のような住居に囲われてるせいで少し薄暗い。数組の観光客らしきグループがいた。

日本では「ローソン+富士山」が見える映えスポットでの観光客のマナー等が問題になっていると聞く。ここモンスターマンションでも同じだなと思いながら居住者の目線を気にしながらスマホでパチリ。2,000戸程度が住んでいるらしい。いづれ取り壊されるんだろうなとかおもいながらしばし写真を取らずに他の観光客をみながらそう思った。どんどん、香港らしさがなくなっていく。タクシーも背の高いツーボックスタイプが増えた。街中では以前にも増して普通語が聞こえてくる。街中ですれ違う西洋人の数はあきらかに減った。知り合いの日本人も帰任が進んでいる。日本人の場合は以前は家族を日本へもどして本人は香港から大陸へ駐在場所を変えるパターンだったが今は帰任か、もしくはタイ、ベトナム、フィリピンなどへ南下するパターンが増えた。今日は6月4日だ。どうなる香港?

日曜日の午後とあって人の数も少ない気がします。

VTech Communications., Ltd

香港 No.1 EMS その強みとは?

VTechに関わる仕事をして13年目になる。2011年に正社員として入社した。Director of Business Development として約10年ほど働いた。その後、雇用形態をコンサルタントに変更してもらい現在に至る。コンサルタントとなってからも仕事の内容は基本的に正社員のときと同じで日系企業からのEMSの新規案件の発掘だ。歴史的な円安の厳しい環境もものともせず委託生産の依頼は依然として強い。今朝も8時30分から日系企業向けの開発依頼案件に関してマレーシアの工場責任者を交えた関係者で受注に向けての課題について電話会議を実施した。会議直後から総勢5名の参加者が喋るわ、喋るわ、日本人の私としては「うるさいッ」「誰かが話しているときは喋らずに聞けッ」と言いたいところだが、聞く耳持たぬことはこお13年間だ学んだ。そして会議の途中でふと思った。常に会話をすることがVTechの強みを支えているんだなと!トップダウンで指示が出されるとその指示に沿って関係者達がすぐに会話を始める。お互いの主張や意見、役割りなどを一気に会話で確認し合う。今風に言えばコミュニケーションのいい会社というところか。会議に参加している全員が会話に加わり課題やアクションアイテムが短い時間ですべてがクリアになっていく様子は何度も社内でみてきた。香港の文化なのか日本ではあまり見たことがない。個人個人が責任をもって自分に与えられた仕事に集中する。逆に周りとのコミュニケーションが良くないと成り立たないんだろな。この相乗効果がVTechの強みなんだろうな。

香港に夏がやってきた(><)

朝から気温は30度超えてます!

先週までのぐずった天気から一転してきょうは快晴です。気温もお昼前から30度を超えて香港の夏がやってきました。幸いなことに今日の湿度は78%とさほど高くなく日陰に入ると不快感は感じません。ただ、これからはこの天気が10月頃まで続くと思うとテンションも下がります(><)
さて日本は今日がGWの最終日ですね。円安とオーバーツーリズムが大きくニュースやネットで取り上げられていました。香港でもスマホを片手に街中できょろきょろする日本人の観光客のグループを見かけました。先週末まではずっと雨と曇りの天気だったので円安とのダブルパンチで少し気の毒でしたね。世間では円安が直接インパクトを見舞っていますが私がコンサルタントを務める香港のEMSではそんな外部環境の中でもビジネスは好調です。日本に限らず米国、欧州、さらにはスタートアップ企業や公的研究機関などからの見積もり依頼を多く頂いています。工場側の購買部門や開発の提案書を作成する担当者やマネージャーさん達は忙しそうにしています。そんな様子をそばで見ていると日本含めて経済は上向きなんだなと実感します。今後を占ううえで大きなポイントになるのはやっぱり「もしトラ」でしょうね。中国に工場を置くEMSにとって米中の緊張の度合いは直接大きなインパクトを受けます。産業機器やエンタープライズ企業向けの製品を中心に生産のお手伝いをしている会社ならなおさらです。逆に「おもちゃ」等の子供向けの製品の関税は0%なんですよ。ご存知でしたか?理由は米国の赤ちゃんや子供を持つ親達の負担を軽減するためなんです。はい、これホントです(笑)

あぁミニバスよ、ミニバスよ

有人落車?

香港島のCauseway Bayで撮った一枚だ。16人乗りのミニバスは香港を象徴する代表的な乗り物の一つだ。今でこそ社内には下車する際に押すブザーが設置されているが僕が駐在できた2008年頃はまだ社内から大きな声で自分が降りたい停留所の手前で運転手さんに降りる意思を伝える必要があった。「有落(ヤオロー:次の停留所でおります)」大きな声で声をかけると運転手さんはぶっきらぼうに左手を肩のところまであげて「了解」の合図をくれるのだ。その簡単な掛け声がなかなかできない。気恥ずかしいのだ。音的には「ヤオロー」と聞こえるのは正確には「有人落車(ヤウヤンロックチェ)」車から降りる人がいますを短縮して「有落(ヤオロー)」と発しているのだ。いつも僕が降りたい停留所が近づいてくると周りに降りる人がいないかなぁ~声をかけてくれないかなぁと祈ったものだ。そんな懐かしい思い出もブザー設置と共に消え去ろうとしている。近代的に発展することは望ましいことだし便利になることはいい事だしそれに抵抗するつもりは毛頭ない。二階建てバスにはUSBのジャックが備わっているしWiFiだって公共機関の建物や公園などの屋外にも電波は届いている。イミグレはパスポートを使う事なくスマホと顔認証でフリーパス出来る。社会インフラは先を急ぐように次から次へと便利になっている。ただ僕は汗臭くて少し汚れた頃の香港が好きだ。

去日本?

同僚たちも日本へ

「去日本」・・・日本語として受ける印象は日本から出ていく「去る(さる)」だろう。ところが広東語で「去」は「行く」の意味だ。従って「去日本」とは「日本へ行く」という意味になる。ちなみに私みたいに香港に住んでいる日本人が日本へ行くときの広東語での表現は「返日本(ふぁんやっぷん」」で日本へ帰ると表現する。今朝、会社で仕事をしていると仲のいいITセクションのエリックがスマホを片手にやってきた。ニコニコしながらスマホの写真をみせてくれた。青空のもと頂に雪をまとった富士山が写っていた。「あー行ってきたんだね」そう言うと「うん、うん」と頷きながらスマホの写真をスライドしてみせてくれた。5~6歳くらいだろうか?ピンクの着物をきた一人娘が笑顔で富士山をバックに写った写真を何枚もみせてくれた。日本ではレンタカーを駆って長野、横浜、東京と走り回ったそうだ。「Thank you for your contribution to the economy in Japan(日本経済への貢献、ありがとう)」と礼を言うと「You are welcome」とのこと、次は夏に行くと言っていた。今朝、日本のニュースでオーバーツーリズムと円安が大きなが問題になっていると聞いた。海外へ行こうと思っていたけどGWは「安近短」で過ごすとの声ばかりが取り上げられていた。大企業やホテル業界などは大きく潤っているはずだ。その利益を従業員へ如何に還元していくかがこれからの日本企業の課題だろうな。日銀は当分の間は金利を上げないだろうと僕は読んでる。

Wong Tai Sin

パワースポット黄大仙に行ってきた

ふと思い立って先週末の土曜日に香港のパワースポット「黄大仙(Wong Tai Sin)に行ってきた。自宅を9時半頃にでて電車で20分程度で到着。数年前の旧正月のときにはごった返していた記憶がある。今日はさほど多くの人出ではなさそうだ。駅の出口を出るとお線香や飾り物を売っている出店が続いている。歩いていくと買っていきなよと声をかけてくる。無言で通りすぎて入口までは2分程度だ。左手の階段の横にエスカレータが新設されている。上っていくと広場にでた。中央では跪いて両手で持った竹の棒が入った筒を何度も頭を前後に振って神様へお願いしている。周りはお線香の煙で覆われていて目が少ししみる。みな一心不乱にお祈りを捧げている。何度も筒を振り続けると中から竹が飛び出してくる。その竹に書かれた数字が占いの結果らしいと聞いたことがある。(たぶん)幸運をと思いながら先へ進む。まわりの建物の色使いが長崎でみた唐人町のお寺や中華街のそれと似ているなぁそんなことを思いながらあるいた。途中、財神宮という財産の神様の前で写真をとってもらってお金持ちになりますようにとお願いしてきた。きっと効果があるはずだ。40分程度のお参りだったがどことなく心が落ち着いた気がした週末の朝でした。

肉骨茶

バクテイのルーツはどっち?

2016年に初めて訪れたマレーシア、そして初めて食べた肉骨茶(バクテイ)、その店に8年ぶりに連れてきてもらった。これまで何度となくマレーシアには出張してて何度となく肉骨茶は食べさせてもらった。こうして書くとこのお店「龍紀」のバクテイはやっぱりひと味違うなぁという文脈になるはずなのだが今食べてみると他のお店とさほど取り立てて美味しいと言うほどのことはなかった。きっと8年前は「初めて」と言う調味料が美味しく感じさせてくれたんだろな。それでも決して美味しくない訳ではなくて十分に楽しめる味は健在でした。醤油ベースの味は日本人にとっても受け入れやすく茶色のスープも色から受ける印象ほど味は濃くなく意外とあっさりしてて何度もおかわり出来る味です。このバクテイを食べながら毎回話題になるのがルーツはマレーシアかシンガポールか?という話だ。まぁどっちでもいいんだけれどね。シンガポール人に言わせると当然ながらシンガポールだと言うしマレーシア人にとっては我々が本家だと言うし、結局のところ明確な根拠はどちらにもないらしいです。美味しければいいかなってことにしておきましょう。

VTech Communications Malaysia

あれから6年も経つんだなぁ

昨日からVTech Communications Malaysia に来ています。この工場は2018年8月にパイオニアから譲り受けた工場です。当時から譲渡の交渉に私も深く関わったこともあってとても思い入れのある工場となりました。譲渡後も継続して製品の生産をVTechが担って来ています。特に米中関係が緊張し始めた2018年以降は中国以外の国での生産要求が加速してここマレーシアでの生産依頼も急増しました。これまで数々のトラブルとコロナ禍など厳しい状況が続きましたが皆んでそれら何とか乗り越えて今はとても安定した生産を行なっています。生産フロアは大きく拡張されて事務棟も新しく建てて当時の様子とは変わりました。あれから6年もの月日が経ったんだなと思うと何か感慨深いものがあります。